Thursday, July 14, 2011

"訳の分からない"力


最近日経ビジネスオンラインでこんな記事を読んだ。
「働きたいけど働けない!」と命を絶つ人が絶えない悲劇仕事には人を元気にする"訳のわからない"力がある。


生活保護を受ける人の数がここ最近増えているという。毎年の統計によると、年々自殺者は増え、その中でも生活保護を受けている人達の人数が他に比べて多いらしい。生活保護を受けているので不自由はあるかもしれないが、最低限暮らしていく、生きていくことは出来るのになぜか…そのことについて調査した人がいて、彼らは…


"どうしても働きたい、って必死に仕事を探すんだよ。仕事ができないっていうのは、『お前は生きている意味がない』って、社会から言われているような気持ちにさせるんだよね"


何かわかる気がする。やるべきことがある、仕事があるというのは人間が生きて行く上で、とても重要なんじゃないかと思う。もちろん仕事は生活するために必要なお金のためだという考えも当然だとは思うが、それだけではない、精神的な、人間的な何かがそこにはあるんだろう。社会から孤立せずに、自分もその一員でいられる。誰かに必要とされる。人とのつながりが自分の周りに絶えずある。笑ったり悩んだり単調ではない日々がある。


仕事の意味を問い続けていくと、哲学の話みたいになるが人間は何のために生きているのかという疑問に到達する。


今自分が無職で日々、自分の部屋でテレビを見たりネットをしたりして毎日を過ごしているこの状況の中で「働くこと」とは「仕事」とは何かについて考える機会が増えている。実際自分も上記の生活保護を受けている人とある意味同じ立場にいるのだろう。唯一感じるのが、今までの会社勤めで何かあった時のためのお金として貯金してきたその余裕というものがあるので、気持ち的にもそこまで深刻に悩んだりはしていない。しかし、もし自分もこの貯金が無く、年齢も40や50代であれば切羽詰まって不安から自殺する人たちの気持ちのようなものを感じている可能性は高いんじゃないか。


人との関わりは時に、自分を悩ませる要因になることもあるが、無くてはならない人間活動の一部だと実感する。人との接触の無い生活はあたかも自分が誰にも認識されず、社会から取り残された存在、存在すらも忘れられているかのように感じられる。そこに自分の生きている意味が何なのか、何のために生きているのかという疑問が生まれて結局、その意味がわからない、無いのではと思い自殺に至るケースがあるんじゃないかと思う。


こんな考えはネガティブかと自分でも思うが、真実なんだろう。その真実とどう向き合うかは、自分次第。私の場合、とにかく誰かと話す時間を増やす。家族でも友達でもネット上の架空の友達だって良いはず。そして部屋にこもらないこと。
一番重要なのが気の持ちようだろう。とにかくポジティブ思考を心がけているのでこんな考えでこれからも行きたいと思っている。


20代後半の女性という条件の自分はもうすぐ結婚する。子供も近い将来できるだろうから、仕事に専念できるのはあと、長くて7年くらい。もしかすると2・3年の場合も可能性的には低くない。そうなってくると人生の長いスパンの中のたった2・3年のことでくよくよ悩んでいること自体がバカらしく感じられてくるので、仕事という概念自体が軽いものなんだろう、と。残された全力投球の仕事の時間をいかに楽しめるか、自分のやりたいことをこの数年のうちに実現するために今だけ必死になれば良い。というようにこれから長く苦しい仕事という苦労が待っているという考えを捨て、自己実現、自己満足の時間だという楽天的な考えにシフトすると気持ちがスーっと軽くなる。会社での仕事も午後5時の「まだ2時間もある」より「あと2時間で仕事が終わる」のほうが気持ちが楽だ。よくわからない例えだけれど、先にある全体的な長い時間を見るのではなく、集中した短い時間だけに目をやれば自然と気持ちの持ちようは変えることが出来るのでは?(私の場合そうなように)ということが言いたい。


最初の問題定義とは話が外れたが、暗くジメジメした考えでは決まる仕事も決まらない。明るく、あっけらかんとしていたほうが前述の生活保護を受けている人の就職率も高まり、自殺者も減少するということの助けになると信じている。病は気から。自分の考え方次第でどうにでも自分自身を、人生を変えることは出来る。



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